アップル・ツリー

 アンダースローされた灰が蒼ざめて……その表現がぴったりな灰色の画面のなかにNさまはいます。窓から差し込む光のかげんで、あいまいな貴方の影は暗灰色のなかに掻き消され、ただの小屑となりました。
 ここでことわり書きしておきます。Nさまというのは、高名な詩人のイニシャルです。Nさまはとうにこの世に亡き人ですが、私はNさまにアクセスしたいと思ったのです。
 この部屋には大きな鏡が二つあります。それと貴方を映したディスプレィ画面があります。私は一度にいくつの世界を抱え込んでいるのかと思います。転写された額絵や反対まわりに動く時計を見て、ひどくバランスの悪い思いをしています。奇妙です。本当に奇妙です。
 ディスプレィ画面はオフの状態です。無機質な素材でかたどられた箱の空虚さは、大げさにいえば、宇宙の片隅に忘れられた死に星のようです。質感に乏しい奇妙な光沢、表情のないモノと向き合うとき、私の体の中のトーンが下がり、静かに、どこか別の世界に引き込まれるのです。
 ここで改行のキーボードを押します。デジタルな世界は便利です。貴方の「汚れっちまった悲しみ」が私をひきずりこもうとしても、転換する術(すべ)を覚えてしまいました。私はなるべくデジタルに自分の躰の解剖図を描こうと思います。ですから血も溢れず、腐臭もしないと思います。
 Nさま、私は一方的にあなたにアクセスします。
 二月の寒い朝のことです。道の左がわに広がった黒く滑らかな畑の地表に、木の影が転写されていました。キレイに二等辺三角形の形をしたあすなろの影は、フリルのように霜が縁取りされていました。確かにそれは実態のない影でしたが、そのまま影として張りつき生命(いのち)を持つような雄々しさがありました。
 Nさま、私はいつも眩暈(めまい)を感じています。いえ、正確にはメマイのようなものを感じています。私は、メマイのようなものを表現する言葉を知らないだけでなく、その感覚自体がよくわからないのですが、メマイを感じるとひどく度の強い眼鏡をかけたように、自分をとり囲むすべてがブレて見え、浮き上がる心地になります。もしかしたら、メマイというのは自分の在りどころの感覚で、私は、本当はこの世界に居ないのかもしれません。
 浮遊する感じは、その日の空模様とか躰の重さで微妙に違うのですが、もし言葉で表現するとしたら、私の頭がバケツ状のもので、その中に比重の重い溶液が半分より多めに入っている感じです。溶液の重さが私という感覚で、軽震度の揺れがリズムを刻む日常のなかで、私は海面に浮かぶ船のように傾(かし)ぎ、心地よくバランスが悪いのです。
 ゆりかごのうたを……、カナリヤが歌うのでしたでしょうか。眠りと覚醒の心地よい岸辺で、私はいつも同じ夢を見ます。ストーリーがあるわけではありません。目を閉じると鮮やかな色彩や形が万華鏡のように展開します。
 初めは暗い世界に開(あ)いた光の穴から始まりました。その穴は微生物のように広がったり縮まったりを繰り返し、同時に溶岩流のようにわき出る色彩は目眩く変貌しました。ある瞬間、穴の動きが止まり、恐ろしいほど深い青色が見えました。そしてその中に神々しいばかりの形状が現われ、それは次第に重みを胎み、灰色の三日月になりました。
 むかーしむかしの話です。たぷんたぷんの羊水のなか、私などという個もなく、プリン体の心地よさにつつまれ、灰色の三日月を見ていました。私にとっては偶発的なことでした。さかしまな気配に吸引され、この世界に落ちたのです。その瞬間から、居ることのおかしな違和感で、粘液質に落ちる気分がずうっと糸を引いています。
 吸引器で引っ張られ、後遺症で頭のとんがった貧相な赤ん坊は、ムンクの「叫び」の登場人物の表情でオーイヤ、オーイヤと産声を上げました。この世界に落ちた瞬間、右も左も上も下も真っ暗闇でした。かろうじて重い水の気分が位置の座表軸にひっかかりましたが、居るところ居るかたちも曖昧な軽震度の揺れのなかで、ひたすら、命をはらんだ不条理のエロスの甘い夢とでもいうような、あちら側を見ているのです。
 Nさま、唐突なのですが、十月十日の胎んだ子宮から、私は人として生まれるべきではなかったのです。私は木として生まれるべきだったのです。山間の田や畑に囲まれた高い木のことを思うだけで、私の躰を流れる体液が至福に満ち、上昇するのです。植物にも気分はあるという話をなにかで読んだことがあります。動物のような電気的パルスではなく植物は茎や葉脈を流れる水分、なぜかあおっぽくて粘液質なものを想像してしまうのですが、その体液が気分を決めているのではと勝手に思ってみるのです。
 どうしたのでしょう。画像がエラーメッセージを発しています。私の頭脳プログラムでは解析不能なのです。私は声を出さないで笑います。爽快です。頭の中が真っ白な空漠で埋め尽くされています。
 私の日常プログラムを読みだしてみます。朝起きて、どうしてここにいるのだろうと考えたりはしません。コーヒーとパンの食事をとり、パンを齧る瞬間に、どうしてパンを齧るのだろうと、考えはしません。日常生活のパターンはプログラムされていて、そのひとつひとつの行動に疑問を持ち滞ると、エラーメッセージが出ます。
 コンピューターのIC回路の基盤には気分がありません。血も涙も、体液などという湿った環境はなく、乾いた電気質の環境です。彼らの感情のきしみは、磨耗による接合不具合しかないのです。彼らの生と死は、オンとオフであり、湿っぽい存在のエロスと向き合うことはないのです。
 Nさまの言葉を画面のなかに入力します。
 ……自分の生存をしんきくさく感じ、……それにしても辛いことです、怠惰をのがれるすべがない!
 画像のなかで変換された言葉は、無機質でなんの匂いもしません。Nさまの自虐的な言葉も、さらしものにされたポルノグラフィーさながら、滑稽でしかありません。
 Nさま、私は馬鹿げたことを書いています。厭になりながら書いています。いやいやながら書いている可哀相な女を演じているのが許せなく、時には自分の躰を切り刻んでしまいたいほどです。そういう時は、気持ち悪い不条理の泥沼にアッカンベーをし、イカレ女と笑い、『運命』のはぎれ良い旋律を口ずさみながらスイッチをオフにします。
         *
 Nさま、私がはじめて詩を書いたのは、十歳の時でした。枯れ木の詩でした。晩秋の公園のなかで、裸の木々が黒い幹をからませているのを見て、木は何を思っているのだろう……と書いたのです。空は果てしなく広がり、雲は気紛れに浮かんでいました。私はその時に感じたメマイのことを確かめたかったのです。空を見ていると、私は空が動いているのか自分の居る場所が動いているのか、わからなくなりました。よく地に足をつけてという言い方を人はします。私はその地が、小舟を浮かべた水のように動いていると感じたのです。
 Nさま、私はその時はじめて、自分の中にあるもう一人の私に触れたのです。重くてうっとおしい荷物を風呂敷で包んで抱え込んだように、私は途方にくれました。いつから私は、こんなやりきれない荷物を持ったのだろうと考えました。そして、記憶のフィルムを巻き戻しました。停止したのは、たぶん五歳ぐらいではないかと思います。路上にしゃがんでレンズを睨んでいる写真でした。見知らぬ男がこっちを向いてと言って写真を撮ったのです。その男の顔の印象はまったくないのですが、白いワイシャツを着ていたことだけは鮮明に残っているのです。セピア色に変色した写真を見ると、内戦の中にいる飢えた子供と同じ目をしていました。あきらめに似た無表情な顔に並ぶ二つの眼には、生きている証のように憎悪がありました。
 Nさま、私の意識はその憎悪からはじまったような気がするのです。五、六歳の子供がどういう憎悪を持つというのでしょうか。一口で言うとするならば神に対する憎悪でした。いえ、あまりにも抽象的なので補足します。計量できないほど大きくて、不可解なものに対しての憎悪でした。そして私という意識が今の私までずっと続いているという確信が、その憎悪という気持ちだけで繋がっていると思うのです。
 Nさま、私は可愛げのない子供でした。色黒で、いつも睨むように人を見たと母が言います。Nさま、私は自分のことを感性するどく知能の高い子供だったと言いたいわけではありません。いえ、どちらかというと私は他の子と比べ、とろくて反応の鈍い子供でした。母はくりかえし、娘の初めての運動会の話をしました。
 位置について、用意、ドンで一斉に駈けはじめるのに、私はといえば、右を見て左を見てまた右を見て、という感じで、走りはじめたときは皆が半分ぐらいまで走っていたというのです。私にその時の記憶はありません。たぶん、私は何をしたらいいのかわかっていなかったのではと思うのです。皆が走りだしたのを見て、走らなければいけないのだなと思い、走りはじめたのだと思うのです。うん十年前の時間だからといって、現在の時間と速さが違うとは思いませんが、なぜか懐古的フィルムは再生がゆっくりで、その中にあっても私はテンポがずれていたのです。
 映像技術の発達した今は、時間を標本のようにスクラップしています。無限に近い重なりが引き起こすブレと軋みは、金属が傷つけあう悲鳴を奏で、狂気に落としいれようとします。
 Nさま、時間は連続しているのでしょうか。私に限っていえば、私は不連続で、不明瞭で、隙間だらけで、どうしても繋がらないあてどころのなさが、私であるような気さえするのです。私という主人公が続きもので演じられるのは、私という記憶が繋がっているからで、けれど、その私を見続けている観客がいないのに、どうして同じ私だと確信できるのでしょう。
 私の家庭環境は、Nさまや、破滅型の文学者などのように、選ばれたものの複雑な屈折も、とりたてて不幸な事情もありませんでした。私の記憶は、五歳のときの道端に屈んで後ろを振り向いている写真からはじまります。どこか一点を射るような眼つきが、それからの私の一部始終を見ている気がするのです。
         *
 私の詩を誉めてくれたのは、大学を出たばかりの男の先生でした。私は人の顔を覚えるのが苦手なのですが、その先生の顔は人相書きに描けるぐらいはっきりと覚えています。顔の輪郭は、横幅が広くじゃがいものような感じでした。眉は太く、目は細く下がりぎみで、口は横に長く……と彼の匂いまで思い出せそうなのですが、なぜか声だけは思い出せないのです。私は彼のことが好きではありませんでした。彼もたぶん私のことが嫌いだったと思うのです。私はクラスの中で目立たない普通の生徒でした。
 Nさま、私は自分で言うのもおかしいですが、結構まわりに気を遣っていたのです。ですから子供の無邪気さや残酷さを押さえていました。その優しさが、本当はそうではないのですが、真理子はそうとったのでしょうが、彼女を私のそばに引き寄せることになったのです。真理子は心臓の病気を持っていました。そのせいで学校生活はいろいろ規制されていました。体育の時間はいつも見学でした。掃除当番もできませんでした。新任の教師はなにかと真理子に気を配っていました。そういうことが負い目になって、真理子は自分の居場所を見つけることができませんでした。生き残るための本能でしょうか、真理子は、意地の悪い観察者、つまり私の視線をキャッチしたのです。そして捨て猫が媚びを売るようにまつわりついてきました。私はそんな彼女をうっとおしく思いましたが、拒絶するエネルギーもなく、友達を演じたのです。授業中でした。真理子が男子生徒にからかわれて、泣きながら教室を飛び出しました。教師は訳も聞かず、その子を平手うちし、そして私に向かって彼女を連れてくるようにと命じました。私は真理子の後を追って学校の裏手にある公園の坂を登りました。彼女は心臓の病気のせいで走ることができませんでした。私はすぐに彼女に追いついて、二人で公園のベンチに坐りました。
 Nさま、私は郷里で真理子と三十年ぶりで会ったのです。父親の三回忌で生家に帰った時でした。父の墓参りに行く途中、昔小学校があった辺りを歩いていました。そして○○城祉公園と書かれた石門の前で立ち止まり、ゆるくカーブした坂道を、時間を巻戻すように目で追っていました。気が付くと、自転車を押したやせぎすの女(ひと)が近づいて来ました。「晴子さんでない」と声をかけられ、その女を見ると細面ての顔がありました。父親ゆずりだという長い顔と細い目を嫌いだと真理子は言っていました。よく見ると、やはり三十年前の真理子の顔でした。
 真理子はあいかわらず痩せていて、やはり父親に似たせいか背も高く、百七十センチぐらいはあるように見えました。彼女の訛りのある言葉が、なぜかとても澄んだトーンで聞こえました。
 町は区画整理が進んで、きれいに整備された道路に洒落た店が並んでいました。真理子の後についてビルの二階にあるスナックに入りました。
「ほんと、久しぶりだなー。晴子さん、かわらねなぁー」
 陰にこもった訛りのある言葉が、真理子の口から出ると不思議と澄んだ響きを持っていました。
 結婚は? 子供は? という決まりきった話になって、真理子は遅い結婚をし、子供が二人いると言いました。そして、姑と同居しているんだけどうまくいってないと言いました。毎日メロドラマみたいに泣いていたなよ、という真理子の愚痴話を聞きながら、私はだんだん気分が重くなり、どうにかこの場所から逃げだせないものかと思いました。
 真理子は、中学校の後半は心臓の病気が悪化して病院から出ることができず、学校には来ていませんでした。以前からカトリックの教会に行っているのは知っていました。中学卒業を間近にしたある日、洗礼を受けたと、花模様の便箋に聖書の言葉と洗礼名、マリアさまのカードを同封した手紙をもらいました。私には、真理子が嘆く不幸というのが、命とか生活に直接関わるものではなく、不幸に酔いしれる少女趣味にしか思えず、そういう真理子の境遇にジェラシーさえ感じていたのです。手紙の返事を書くのも間遠になり、その後、真理子が修道院に入ったという話を母から伝え聞きました。「イエスさま命」と言っていた真理子を思い、少女趣味であれ何であれ、とことん入れ込んだ彼女に喝采を送り、馬の尻に鞭をいれるように、行け、突っ走れっ、アナタが選んだ道だから、貫き通してよ、と、自分なりに真理子を応援していたのです。
 別人のように逞しくなった真理子に、あなたのイエスさまはと聞きました。
「いまでも変わらねよ。イエスさま命だもの。修道院には二年いた。それなりに楽しかったよ。無駄でなかったって思てる。……んでも、かっこつけて言えばよ、アイデンテテーていう言葉あるでしょ。これ言うとき、いつも舌かみそうになるんだけど」
 真理子はしっかりと私の目を見て話し続けました。その顔には少女の頃の感傷は微塵もなく、けれど少女の頃には感じられなかった信念が見えました。
「朝起きて、お祈りして、食事して。お祈りして、労働して、お祈りして……そういう生活毎日くりかえしてて、なんだか違うっていう感じがしたなよ。それ、アイデンテテーっていうのが感じられねえって、思ったなよ」
 真理子がアイデンティティーとつまりながら言う度に、私は少し笑いました。真理子の顔は少女の面影を残したそのままで、三十年という年月を刻みこんでいました。
 私は真理子の顔を見つめながら、もうひとつの醒めた視線を感じました。それは一部始終を俯瞰する気配でした。私は動揺しました。冷徹に真理子を観察している私を、もっと醒めた視線で、というより、無機的に眺望している何かがあることを感じ、怖じ気たちました。
「わたし、なして晴子さんと気があったのかしら。今でも覚えているなよ。授業中にKちゃんだっけ? 覚えてない? わたし執念深いから覚えているなよ。わたしが工作で作った家があんまり上手にできていたもんだから、おまえ誰かにつくてもらたんだろ、ずれなー(ずるい)て言われて、なしてだか、悲しくなって、教室飛び出したなよ。その時、わたしの家の中ごたごたしてて、父の女性問題とか……」
 真理子はそこでくすっと笑って、
「あの父がって思うでしょ、遊び人だったなよ。子供はみな父に似たのかもしれね、兄も姉もわがままで、好き勝手なことしてた。自分の体のことも不安だったし、死んだほうが楽だなって思てた。教室から逃げだしたのは、そういうことから逃げだしたかったんだて思う。晴子さん、追いかけてきてくれて、ベンチに坐って話したけな。晴子さんの言ったこと、今でも覚えてる。『なして、そんた
なことで泣ぐなよ。馬鹿みたいだ。人がなんて言ったって、関係ないねが。自分は自分なんだから』」
 Nさま、真理子の言葉を聞いて、私もその場面を覚えていると思いました。三十年前の一瞬の記憶を、二人がこんなに鮮明に覚えていたということに驚異を覚えました。けれど、彼女の記憶と私の記憶は深層ではまるで違ったのです。その時に真理子に言った言葉を正確に覚えているわけではありませんが、私は彼女を励ました覚えはないのです。私は公園のベンチのまわりにおい茂った雑草のように、殺伐としていたのです。城跡の公園は、町を見下ろすように高台になっていました。私たちが坐ったベンチの下の方には木々が茂り、その合間に、人家や道が見えました。のどかな光景が広がっていました。私はそののどかな景色を眺めながら、なぜか無償に腹がたったのを覚えています。教師がむきになって怒ったわけ? 男子生徒がぶたれたわけ? どうして私が真理子を追い駆けなければいけなかったのか、そういうことに私はこだわり続けたのです。
         *
 Nさま、マリコとの再会が引き金になって、私は、私という意識の積み重ねである数えきれないほどのネガフィルムを、もう一度映しだしてみようと思いました。そして記憶ディスクを検索しました。
 最初にパラメーター異常値を示したのは、葬儀の記憶でした。私は幼少の時、母の父母、父の父と三度の葬儀を体験しました。母の父母の葬儀は正月と田植え時でした。私が鮮明に覚えているのは、リンゴの花が咲いている頃の記憶でした。
 ひどくお天気のいい日でした。祖母が座敷に寝ていました。私は座敷の濡れ縁から、そばにあるリンゴの木に登りました。祖母があぶないとかなんとか言ったかもしれません。リンゴの木の上からは、母屋の後ろの畑から川沿いに下る道が見渡せました。私はその道に沿って目を走らせました。生い茂った若草が鼻先で匂うような気がしました。川に沿って大きく曲がった道の角に掘っ建て小屋がありました。その小屋が誰のもので、何のためにあるのか、私は知りませんでした。川に沿った道は、そのまま川に吸収されるように消えていました。川には丸太がかかっているだけで、ずっと川沿いの道を回らなければ橋がありませんでした。そのかわり、向こう岸にロープが渡され、渡し船がありました。向こう岸は急勾配の斜面が続いていました。そこはほとんどが墓地でした。リンゴの木の上からは、ずうっとその川の向こうまで見渡すことができました。
 次のネガフイルムを呼び出すと、やはりとても良いお天気でした。布団の上に寝ている祖母は白い布を被っていました。黄色い光の球(たま)が気ままに飛び回っていました。祖母の布団は人形(ひとがた)に脹らんでいました。私は静止した脹らみを障子の隙間から見ていました。
私はリンゴの木に登りました。リンゴの木の上から葬儀の行列が見えました。温(ぬる)い風が吹いていました。土煙りを巻き込んだ風の文様がスローモーションで見えました。旗を掲げた喪服の行列が、なだらかな斜面に倒れかかるようにつながって見えました。ひらひらと喪服の裾が閃きました。行列の後には、村の子供達がばらばらにつながっていました。
 舞い上がる風のなかを丸木橋をわたり、小高い丘を登って行く奇妙な行列を、私は初めから終わりまで見ていました。今思うと不思議なことでした。私は行列の中に加わっていました。どうしてかというと、掘り返され土が盛られた場所に丸棺を置き、穴の底におろしたこと、別れの挨拶をしながら少しずつ土をかけたことも、この目で見ていたからです。けれども、リンゴの木の上で望遠レンズで見るように行列を見ていたのも私なのです。
 Nさま、過去の自分は本当に同じ自分なのでしょうか。私は時々そう思うのです。今の自分だって、本当の自分なのでしょうか。私は、自分のことを肉眼で見たことも、体全体を触って確かめたこともないのです。これほど不確かなものはありません。私はその時に思ったのです。自分というのは、切れ切れに感じるけれど、見ることも抱きしめることもできません。これほど不思議で、実態のないものはありません。
 葬儀は芝居を見ているような仰々しさで、私には不可解でした。そうして演出することで、死のおぞましさや悲しみを隠したのではないかと思うのですが、それでも父や母や村人たちが演じている世界というのが、滑稽さを承知していながらお互いの役割を演じている座興芝居に見えました。
 Nさま、葬儀の席に集まった人々は、目がいつもより生き生きとして、一様に高揚していました。とり憑かれたように話し続ける人の不気味な顔のアップを交互に見、その時、私は自分の居る場所がなんだかおかしい? と首を傾げたのです。説明するのは難しいのですが、現実の手触りというのがなく、私をとりかこむ空気は肌を撫でることもしませんでした。
 私の頭のなかに四角い部屋がありました。解きかけの方程式の数字が崩れ、壊れた数字の欠片が鋭角な触手になって部屋の四隅に飛び散り、神経細胞を刺激しました。
 私は夜中に何度か目を覚ましました。夢か現つかわからない残像が、いつまでも消えない匂いのようにありました。それに浸っている間は心地好くさえありました。
 私は暗闇を凝視し続けました。いくら見続けても一ドットの粒子も見分けることができず、何もないという表現しかできない無表情な場面が延々と続くだけでした。変化が感じられないということは、流動している時間の手応えも感じられず、私は額絵の中に閉じ込められたように身動きできなくなり、胸苦しく破裂しそうでした。
 Nさま、想像してみて下さい。意識と肉体の関係を、水とコップに喩えるのは、あまりに単純すぎるでしょうか。三十年、いえ四十年、コップの中の水は自分の本当の形を知らず、居る場所も知らず、淀んだままで夢を見ているのです。
 村一番高い木がありました。木の気分を想像すると、私は少しだけ幸せになりました。木の幹を走る維管束を、透き通った緑の樹液が落ちる時、気が遠くなるような悲哀が落ちていく感じがするのです。私の胴体は金管楽器の細い通路のようでもあり、冷たい風が次から次と通り抜けて行きました。
 眠ることができない私は、その度に母の枕もとに行き、頭が痛いと言って母を起こしました。目をこすりながら母は起き上がり、当時はどの家にもあった『富山の薬箱』の引き出しから達磨の絵のついた頓服を出しました。私は母を見、言葉をかわすことで、自分の居場所を確認し安心しました。そういうことができるのは、せいぜい中学に入った頃まででした。
 はっきりした悩みがあるというわけではありませんでした。いえ、はっきりしたものがあるのなら、悩みでも痛みでもいいとさえ思いました。私は私という存在の確信を持つことができなかったのです。
 頭のなかに真っ黒なものが蠢いている感じでした。たぶん私の貧弱な頭脳スペースに入りきれない感情および情報が溢れ、危険信号をならしたのだと思います。頭痛を訴え、不登校の娘を見て、父は知り合いの精神科医に連れて行きました。
 病院は日本海に面した松並木の中にありました。海辺の一帯には結核の療養所や障害者の施設がありました。その一角に行くということは、廃人か狂人、世の中から見捨てられた人が行く場所だという暗黙の了解がありました。
 青い海を背景に真新しいニ階建の建物がありました。私は砂地を踏みながら病院の入り口に行くまでの間、ドラマのエキストラのように何度も行き来する人や、膝を抱えてしゃがみこんでいる人を見かけました。彼らの共通点は人の視線を意識しないということでした。重いガラスの扉を開け中に入ると、リノリウムを敷き詰めた廊下が真っすぐ伸びていて、壁の掲示版には患者が描いた水彩画や短冊に筆で書いた歌がありました。南側の窓には小さな鉢植えが並び、明るい日差しを浴びていました。
 診察室に入り、父と挨拶を交わす医者を見ると脂肪を貯えた巨体でした。父の話では、医者が貧乏医学生だった頃の付き合いだということですが、今では立派な病院を建て町の名士になっていました。金満家の腹をつきだした医者が、繊細さのかけらもない野太い声で、学校や家での生活、読んでいる本、今考えていること、悩んでいること、と事務的な質問をしました。眼鏡の奥で傲慢に光る目を見て、私は自分が考えていることの片鱗も話すものかと身構えていました。脳波を見てみよう、と医者が言いました。ベッドに仰向けになり、頭皮に糊状のものを塗りつけ、計器から伸びたコードの先を絆創膏で貼りました。脳波がどれほど脳の中身を写し撮るのかという興味はありましたが、一方で私は医者に自分が透視されるような気がして、緊張していました。診察の後、医者は父だけを診察室に呼びました。
 糊でごわごわになった頭のまま待合室で待っていると、親しげに笑いかけてくる患者の顔が神々しく思え、病んでいるのは医者の方ではないかと毒づいていました。
 診察室から出てきた父は私の顔も見ず、帰るぞ、とうながしました。病院を出ると、外の光が眩しく照りつけました。父は私に背を向けて足早に歩いて行きました。父の角ばった後ろ姿が離れていくのを眺めながら、癖のある父の歩き方をじっと見ていました。父は車に乗ってエンジンをかけ、煙草を吸っていました。車が松林を抜け海に沿った国道を走りはじめると、父は前を向いたままで、「お前の脳波はなんとかいう科学者と同じだとよ」と、目を眩しげに細めて言いました。そして、「ノイローゼとかいう神経病みだとよ」と、軽い精神安定剤だという薬の袋を私の膝に放りました。私は分厚い薬の袋を手に取り、病院の南側の窓に並んだ鉢植えの花と同じ、満足気な自分の顔を思いました。そしてその花々を破壊したいという気持ちに襲われました。ノイローゼというインテリジェンスのある病名、それと自分は庇護されているという、満たされた顔が見えたのです。そういう自分がどうしようもなく憎々しくて、といってもどうしようもなく、吐きたいような気持ちになりました。
 Nさま、貴方の言葉を借りて言えば、手に負えたのはこの怠惰だけでした。春の青草の匂いを吸い込むと、私の躰の芯を通る数本の維管束を、得体のしれない濃い樹液がすべり落ちていくのがわかるのです。
 貴方のサーカスの詩にある、『ゆあーん、ゆよーん』とゆれるブランコが、逆(さか)しまに風をきって地表を離れ、そして地軸に引き戻される時の、肺腔の心細さ、と説明してもなんの説明にもなっていないでしょうが、わかってもらえるでしょうか、あのいやーな感じがそのまま糸を引いて、ゆやゆよんと落ちていくのです。
 私は春の風が嫌でした。変にまぶしい太陽も嫌でした。春の生臭いざわめきを感じると怖気たち、憂欝になりました。
 私が入学した女子高は、家から歩いて十五分ほどの場所にありました。アスファルトの窪みと継目を見つめ、時々は道の端に茂った草を見つめ、重い鞄をさげて学校の門をくぐるだけの毎日でした。
 私のクラスには、クリスチャンの生徒が何人かいました。彼女たちは同じ区域から通学していて、その誰もが訛りのない標準語を使っていました。彼女たちの家は、代々キリスト教徒だと言いました。東北の片田舎の村で、キリスト教徒ということが納得できない感じがしました。席を隣あわせたその中の一人、杏子に訊ねると、自分たちの先祖は徳川幕府に迫害されたキリスト教徒の末裔だと言いました。
 杏子はさほど大きくない私より一回りも小さく、少女の面影を持った人でした。顔の色が病的に白く、はっきりとした黒い眉と眼窩の間に深い影があり、時折、切れ込んだ眼から射るような視線を向けました。授業など無視するように、俯きかげんに物思いに耽っている杏子ですが、彼女はクリスチャンの生徒の中だけでなく、他の生徒の中でも確固とした存在感を主張していました。 
 そんな杏子と席を隣合わせ、二言三言会話をするようになりました。
「あなたって、いつも教室の隅で本を読んでいる感じ」と言われ、じゃあどうしたらいいの? あなた達って教室のあちこちにたむろして楽しいふりをしてるだけじゃない、とは言えなくて黙っていました。気まずい沈黙が流れました。
「どんな本読むの?」と、杏子はそれでも問いかけてきました。どんな本といわれても、すぐに答えることができませんでした。選んで読むというのではなく、文学青年だったという父が買い揃えた青い背表紙の全集から手当たり次第読んでいました。杏子は、ダザイの「人間失格」読んだことある? と言いました。ダザイと聞いて私は動揺しました。私はダザイの語りの中に同化し、〜なのでした。〜なのでした。という嘆きのリフレインに躰を切り刻まれ血を流していました。そして一方では、自分の躰を裏返しにして内臓をさらけ出しているようなものではないか、と彼の自虐趣味が反吐が出るほど嫌いでした。
 ……人間失格。もはや自分は完全に、人間でなくなりました。私は「人間失格」の常套句を思い浮かべました。すると、ダラクとかタイハイというイメージが滑稽すぎて、笑いたくなりました。私はゆっくりと言葉を選びながら、もし私が大宰の愛人だとしたら……。杏子の顔が笑っていました。私は杏子の反応に力を得て言葉を続けました。ケリをいれて百タタキぐらいして。バッカみたい、気取ってんじゃねえよ、能無し男。人間じゃなくてなんなのよ。ゴキブリだって真っ当に生きてるじゃないの……と一息に言いました。杏子は小さな躰をゆすって笑い転げ、私も一緒になって笑いました。彼女のあけっぴろげな笑いを見て、杏子に持っていた暗くて陰険な女というイメージが払拭されました。杏子は私に向って言いました。あなたってイメージと違うわね。この女(ひと)、笑うことなんてあるのかしら? と思っていたと。
 それから杏子と話をするようになりました。そして私は彼女に質問したのです。
 あなたは本当に神様がいると思っているの? 杏子は一瞬沈黙し、そっけなく、思っているわよ、と言いました。
 理解できないという私の呟きを聞いて、理解するものじゃない、と杏子は言いました。「わたし、あなたほど傲慢じゃないわ」「傲慢? わたしが」という問いかけに杏子はニヤリと笑い、「あなたって鼻持ちならないわよ」と、つっぱねるように言いました。
 どうして鼻持ちならないの? どうしてだかわからない、と杏子は言いました。あなたは神様を持っていると思ってたの。でも違うということがわかった。あなたの中にあるものは何なのか……知りたくない? 杏子はそう言うと鞄を持ってさっさと教室を出て行きました。玄関を出ると、杏子が待っていました。「行く」という杏子の誘いを断る理由もなく、私は杏子の後について行きました。
 日本基督教教会という看板と十字架のついた建物は知っていました。そこは幼稚園にもなっていて、時々流れてくるオルガンの音も聞いていました。教会の門をくぐり、礼拝堂に入りました。杏子はどこに行ったのか見当りませんでした。
 薄暗くなりはじめた礼拝堂に立って、何年か前に、真理子に誘われてカトリック教会のミサに行ったことを思い出しました。白いベールを被った人たちが、胸元で組んだ指に頭を垂れていました。キリストの血と肉だという小さなコップに入った葡萄酒とパンのかけらが回ってきました。私はその儀式を傍観しながら真理子との、いえ、彼らのいる世界との不調和を感じました。
 円弧のかたちに並んだ椅子が祭壇に向って何列かありました。祭壇の後ろの壁に十字架がかかっていました。杏子がどこからか現われ、先生が少しなら時間があるっていうから、と私を礼拝堂の横にある部屋に連れていきました。
 牧師は髪の毛が薄いせいか、五十代にも見えましたが、実際は四十もいってないのかもしれませんでした。杏子が私のことをさして、彼女です、と言って部屋を出ました。
 牧師は黒ぶちの眼鏡の奥から、強い視線を向けました。私は、なぜか今まで会ってきた大人とどこか違う印象を覚えました。どういう風に違うのかというと、一種の威圧を、けれど力によるものでない威圧を感じたのです。突然のことなので、私は聞くべきことを用意していなかったのです。いえ、聞くべき事があまりにも漠然として、形をなしてなかったのです。けれども、牧師の視線にそそのかされるように、質問しました。
「神様は本当にいるんですか。イエス・キリストみたいに人の形をしているんですか。どこにいるんですか。見えるものなんですか。病人をなおしたり、死んだ人を生き返らせたりできるんですか……」
 私の心臓は、陳腐な言い方ですが、早鐘を打っていました。そしてもう一方では、なんて馬鹿馬鹿しいことを真正直に言っているのだろうという、醒めた自分も感じていました。
「あなたの質問に、納得いくように答えることはできないと思うが。というのは僕は神ではないからね……」黒縁の眼鏡の奥の目が光っていました。赤い唇から発語されるボクという響きが、妙にスマートに思われました。東北の田舎町では、若者でもボクなどと言う男は少なかったのです。
「僕は伝導者であるまえに、ただの人間でもあるからね」
 牧師の言葉を正確に覚えているわけではありませんが、そんなような言い方をしたと思うのです。そして、彼はひとつひとつの質問に答えるのではなく実に丁寧に反応してくれたのです。
 牧師は、神はいる、と言いました。神の姿や、神のいる場所を引き合いに出して質問をする人は多いが、その質問に答えを出すことはできない。仮に、もし一匹のゴキブリを指して、これが神だと言い、神はいつも台所の隅におわします、と言ったら、君は首を横に振るだろう。では、仙人のような人を差して、これが神だと言い、神は天界の何丁目何番地に住んでおわしますと言ったら、首を縦にふるだろうか。つまり誰を持ってきても、君は納得しないだろうと思う。それが信仰ということだよ。信じるということは形に囚われることではない。それは感じるということに近い。神を見ることはできなくても感じることはできるのだ。
 私は多少納得したものの、では、どんな宗教でも神を感じている人たちは本当の神を持っているということですか。キリスト教にしてもいろんな宗派がありますよね。死んで天国に召されるとき、天国も宗派別に区画整理されているんですか。
 牧師は唇をゆがめて、面白いと言いました。たくさん疑問を持つということはいいことだよ。疑問が多く深いほど、真実が近付く。ただ、あなたは本当に神を知りたいのか。僕にはあなたが何を知りたいのかわかってないような気がする。神にしても何にしても、こうだよと教えられて納得するものではない。数学の問題に例えてみるといい。わからないからといって答えだけを教えてもらってもわかったことにはならない。自分で解いてみて、どこがどういうふうにわからないのかを知らないと、本当に分かったことにはならない。あなたが本当に神のことを知りたいと思うなら、まず一遍は聖書を最初から最後まで読むことだ。それから聖書に書かれていることを理解しようと努力することです。
 Nさま、私は牧師に言われたことに、なにひとつ反論することができませんでした。それから私は、日曜礼拝に行き、牧師の説教を聞くようになりました。牧師は身近な人のちょっとしたことを話題にし、今まで見えなかった人間真理を解きあかしてくれる、冷静な観察者でした。

 私が教会に行くのを母は咎めました。なして(どうして?)と聞くと「ざまくるな」と言いました。(ざまくる)という方言を私は的確に訳すことはできないのですが、変わったことをするなというような意味だと思うのですが、言葉自体に毒があって、私はつねづね思うのですが、東北の方言の濃さというのは、言葉が悪意で膿んでいるからだと思うのです。標準語にはないアクというか怨念があるのです。だから私は、母に行くのを止めなさいと言われるより、何百倍も「ざまくるな」と言われることが応えたのです。
 母はけしてもの分かりが悪い人ではありませんでした。私が通う女子高は喫茶店に入るのさえ禁じていましたが、母からそういう類いのことをうるさく言われたことはありませんでした。それがどうして教会に行くことがいけないのか、と私は反論しました。一方で、私は母の気持ちが分かってもいたのです。基督教という異文化に対する恐れもあるでしょうが、それよりも母は本能的に、私の中にある異質なものを感じていたのだと思うのです。「みるなの座敷」という民話があります。それを見たら平穏に生きていくことが難しい「生の闇」を見ることを恐れたのです。母の年代の女たちは、その闇に目を向けないで生きてきたのです。ですから人の死に会った時は、真顔で向かうのではなく、儀式というかたちをかりて、たいそう(ざまくる)のです。
 教会では青少年が集まって、聖書研究会をやっていました。そのグループのリーダーが一学年先輩の二朗でした。彼らは、休みの日は連れだって施設や作業所に奉仕活動に行きました。私がはじめて参加した日は小雨が降っていました。十人ぐらいがだらだらとつながって日本海に面した河口にかかる橋をわたりました。所々赤く錆付いた橋は、金属的なきしみ音をたて、震えていました。前日からの雨のせいで、水嵩がまし、河は大きくうねる生きもののようでした。町は、この河を境に南北に寸断されていました。私は、この橋をわたり北の町に行くことはめったにありませんでした。以前父に連れられて病院に行った時ぐらいかもしれません。いえ、本当は小学校二、三年生の頃でしょうか、何度かここへ遊びに来た記憶があるのです。
 橋の東に傾(かし)ぐように建つ古い木造のアパートが今でもありました。雨に濡れた羽目板がカラスの濡れた羽のように鈍い色をしていました。
 Nさま、私の記憶はひどく曖昧で、ヴェールがかかったようなという表現がありますが、それが本当のことなのか夢なのかわからなくなっているのです。事実を確かめる術(すべ)がないわけではありませんが、私はやはり、事実を知ることが怖かったのでした。
 思い出そうとしても、その友達の名前は無理としても、顔は思い出せそうなものですが、背格好から何もかもすっぽり抜け落ち、透明人間のようなのです。けれども、ある場景だけははっきりと覚えているのです。丸太のように水の上に浮く、髪の長い幼女の映像でした。私は、その記憶にロックをかけていたのかもしれません。だから思い出そうとしてもどこまでが本当で、どこまでが想像なのか、考えるほどにわからないのでした。
 ところどころの記憶をつなぎあわせると、古い木造のアパートが出てきて、入り口のそばにある暗い共同炊事場が見えるのです。土間の中央に木でできた流し台があり、そのまわりを走りまわった記憶があるのです。誰か大人の声で、外で遊びなさい、と言われたのかもしれません。明るい戸外に出ると、トンネルから抜け出した感じでした。空に赤みが混じりはじめるまでの間、自分たちの世界に没頭したのです。友達の顔形が少しずつ黒い陰影にかわりはじめる頃、もう帰ろう、と誰かが言い、その時初めて友達が、妹がいない、と言ったのです。
 今呼び出そうとしている記憶は、私が作り出している映像なのかもしれません。……Nさま、本当のことを話します。私は友達と川原で遊んでいる最中に、友達の妹がいなくなったことを知っているのです。その後にボチャンという不吉な水音を聞き、一瞬映像が停止するように、体が硬直したのです。その時、痛いぐらい胸の騒めきを感じたのも覚えているのです。けれども私はそのまま遊びに没頭しました。夕暮れていくなか、シロツメ草を摘みながら見た変に赤黒い空を覚えているのです。
 空は海の広がりに向かって、青黒くかわっていきました。大人たちが舟をだして、幼女の白くふやけた体を見つけ、舟の上に引き上げました。私は、その場景を見ていたのか、それとも人に聞いたのか、曖昧なのです。そして、その子が助かったのかどうかさえ、大変な事件なのに、記憶がぷっつりと切れているのです。
         *
 雨は完全に止み、強い日差しが照りつけていました。湿度の高い空気が肌にはりつき、そのうっとおしさが、若者から発散される性的な熱気のようでした。先頭を行く二朗が無闇に傘をふり回しながら、歩いていました。
 私は太陽をまともに見ました。太陽は赤い色ではありませんでした。私には確かに緑色に見えました。燃えさかる緑の炎の色でした。私の視界から一瞬、色がなくなりました。私は、自分は今どこに居て、何をしようとしているのだろうと思いました。
 母の「ざまくるな」という言葉をくり返しながら、確かに、ざまくっているのかもしれない、と思いました。なんのために奉仕活動に行くのだろう、私は他人に奉仕するほど、こころ優しい人間だろうかと思いました。
 海のそばに新しく建った「あすなろ」という施設には、いろいろな障害を持った人がいました。彼らの中には人なつこく笑いかけてくる人もいました。こんにちは、と声をかけられて、こんにちはと小さな声で答える自分がひどく緊張しているのを感じました。
 二朗が親しげに少年の手を握って話しかけるのを見て、まるで自分が少年に触れているような気恥ずかしさを感じていました。少年は高橋健太です、と名乗りました。
「アノー、ボクのこと、親しい人はケンちゃんと呼びます。でもボクはもう二十歳になるのだから、子供じゃないんだから、ほんとうは高橋さんとか呼ばれたいんです」ケンちゃんは、一言発する度に手をふりあげ、体を大きく揺らせました。そして、文節ごとにピリオドを打つように、はっきりとした口調で言いました。「アノー、初対面の女(ひと)に言うのは、失礼かもしれませんが、アノー、ボクのこと見て、どう思いますか」
 車椅子に坐った彼の体は左側に大きく傾いていました。上体が下半身に比べて大きくて、その上に仏頭のように立派な顔がありました。ケンちゃんは脳性マヒだと言いました。私は彼のような重度の障害者と話したのははじめてでした。彼は聡明で、礼儀正しく、ジョーク好きでした。
「アノー、ボクがキライなのは、アノー、ボクを見て、かわいそうねぇー、とか言う人です」と、彼は言いました。東京の養護学校に行っていたという彼は、なんらかの事情で、三人の姉妹と一緒に母親の郷里に帰って来たと言いました。そのせいで彼は、時々女言葉を使いました。
 ケンちゃんは、誰にでも元気な声で「こんにちは」と挨拶しました。知らない人は驚いて、顔が硬直状態になる人もいました。
 二度目にケンちゃんに会った時、「ハルコさん、今日は」と声をかけられ驚きました。彼は、自分の気持ちに真っすぐな男(ひと)でした。嬉しい時は笑い顔を張り付けたように顔全体が笑っていました。そしてその嬉しさをみんなにも知ってもらいたくて、会う人ごとに、聞いてください、嬉しいことがあったんです、と話しかけました。
 ケンちゃんの口癖は、「あのひとはイイ人だ」でした。彼にとっては、悪い人はいませんでした。本当にイイ人だねえ。案外イイ人だねえ。本当はイイ人かもしれない。と、イイ人を微妙に使い分けていました。そしてそのイイ人に会うと、男でも女でも、「ボク○○さん、結構好きかもしれない」と言葉に出さなければ気がすまない男(ひと)でした。
 Nさま、私はケンちゃんに接している時、私にとりついているもう一人の私から開放され、不思議と身軽になっているのを感じました。彼の気恥ずかしいぐらいの感情表現が、とうの昔に置き忘れた純粋な心を刺激するのかもしれません。ケンちゃんの周りに集まると、芝居の一場面(ト書き、皆で談笑)になり、そこに集う人の顔が皆にこやかになるのです。集団催眠にかかっているわけでもないのに、どうして皆同じ気分になるのだろうかと不思議でした。二朗に話したら、ケンちゃんは本当に幸せな顔をしているからね、と言いました。私は、二朗の言葉に納得しながら、架刑にされたイエスの顔を思い浮かべました。神様、あなたはなにもかもお見通しでしょうから、本当の気持ちを言います。苦悩に満ちた自虐顔は、どんなご利益があろうとも見たくないのです。
 つい最近まで、いや今でもそうかもしれないけれど、障害者は恥ずかしいものとして家の中に隠されてきた、と二朗は言いました。ケンちゃんには、自分の姿が恥ずかしいという気持ちがないんだ。彼のお母さんが、彼の障害を隠さないで堂々と育てたし、もともと持っている彼の資質がそうなのかもしれない。
 私は、明るすぎるぐらいの部屋で作業をしている人たちを見て、生きていることを隠され続けてきた人の営みの潜在的エロス、というとあまりにも抽象的なのですが、食べて出して性交してというグロテスクな部分が、滅菌消毒され、キレイにラッピングされているような気がしました。人の皮を剥ぐと、肉があり、血管や神経、五臓六腑……と、そのおどろおどろしい臓器感覚がイヤダと思っている私は、人はいつか死ぬもので、腐敗していく体を想像するだけで気持ちが悪くなりました。ケンちゃんは私より重い肉体を持っていました。けれど彼の穏やかで優しい笑顔、自然体の有様を見て、私は自分の肉体と肉体を巡る体液の呪縛から解き放たれ、身軽になっていきました。そして自分の臓もつが心地よい重さとなって、体の内に納まっているのを感じたのです。
 Nさま、私はそこで薫という女性と話をするようになりました。薫のことは日曜日の礼拝で見かけていました。同じぐらいの年頃だと思うのに、若い人たちが集う場所には出て来ませんでした。薫は、自分は鬱病だと言いました。状態のいい時は社会参加のために施設の手伝いに来るのだと言いました。彼女の発病は、兄が自死した時からだと言いました。
 わたし、うらやましいです。ハルコさん。
 なして?
 ハルコさん、きらきらしてるもの。
 薫の声は綺麗に澄んだソプラノで、優しいニュアンスに満ちていました。私は彼女とニ言三言話しただけで、痛々しい感じがして、薫は間違えて人に生まれたのではないかと思いました。
 私は薫に、あなたは可愛いし、優しいし、魅力的な女(ひと)だと言いました。薫は、いやだあー、と恥ずかしさで顔を真っ赤にし、甘えるように科(しな)を作りました。ただ少しだけ太っているから、やせる努力をしたほうがいいと付け加えました。
 昔は痩せていたんです、と言って、薫は次の言葉を飲みこみました。私は彼女の無言の言葉の先を、想像しました。
……何時というはっきりした瞬間があるわけではありません。冬の冷たい日差しに魔法の呪文がかけられ、ベールが剥がれるように太陽と空の明るさが明度を上げるのです。その時に、「あっ」という声が聞こえるわけではありませんが、サナギはその、「あっ」という信号をキャッチして殻を脱ぎ始めるのです。私は、その変態した躰に馴染むことができませんでした。腹の脹らみがグロテスクで気持ちが悪かったのです。けれども、私はもとのサナギに戻ることはできません。私は食べ続けました。憎悪を持って食べ続けました。私の躰はくびれがなくなり、ムーンボールのように膨れ上がりました。私は自分の躰の表面積を想像し、吐き気を覚えました。それから延々と吐き続けました。不条理ではありませんか。私の意志で生まれたわけでもなく、私の意志で変態したわけでもなく、私の指令など一つも受けつけない私に占領されたままの私など、抹殺するしかないのです
 Nさま、今私の中枢はバグを起こしています。たとえスイッチをオフにしても治りそうもありません。このままプログラムを続けるしかありません。
 太っているのは薬のせいなんだ、と薫は言いました。そして、太っているのが嫌いだと言いました。太っている自分がキライ、この肉がキライ、手もキライ、胸もキライ、全部キライ、だけど嫌いな自分から逃げだすことができないのだと言いました。
 気分がうーんといい時は、今もとても気分がいいんですけど、いままで私が考えたことやしてきたこと、みーんな馬鹿馬鹿しい気がしてフツウに生きればいいって思うんです。
 Nさま、私はフツウという名詞に過剰に反応します。フツウって、どういう意味なのでしょうか。この場合は、皆と同じようにという意味でしょうか。Nさま、私は人のことなどわかりません。世のなかの人々がどういうことを考えてどういう日常を送っているのか分かるはずがありません……と、心の中でシニカルな野次を飛ばし、薫の話を聞いていました。
 でも、やっぱりだめなんです。突然、空が真っ黒になって雨が降るみたいに、躰の底の方から真っ黒になるんです。すると、石みたいに躰が固まって……。自分の意志でないところから、わきあがってくる気分があるんです。
 Nさま、私はその時一緒に頷いていました。自分の意志とは違うところから聞こえてくる声、そうなのです、私もそのとき確信したのです。私は私にいつもアクセスしているのです。今もそうです、私は私に問いかけているのです。ということは、私はひとりではないということなのでしょうか?
 Nさま、狂気とはなんでしょうか? 例えば肉体が、心臓だとか肺だとか……蝕まれるように、精神も狂気のウイルスに侵され病むのでしょうか。医者はどこを切り開いて、病巣をとりのぞくのでしょうか。
 私は薫に、「誰だって気持ちが落ち込むことはあるのです。死にたいと思うことだってあるのです」と、言おうとしました。けれど、どんな言葉を捜しても薫の気持ちを変えることはできないということが、わかりすぎるぐらいわかっていました。私は、風船のガスが抜けるように躰の中がしぼんでいくのを感じました。
 Nさま、私の秘密を話します。狂気を隠し持つ選ばれた一人とは、私です。狂人であるということを隠し持つ楽しさ、薫はその楽しさがわからないのでしょうか。頭のなかは崩壊寸前のビルディングです。キーンという金属音、圧搾機の震える音、地をならす超低音が共鳴しています。壊れろ、ぶっ潰せ、粉々になるまで、十二ラウンドの戦士にエールを送るように、私は私自身に声援を送ります。
 狂人は明るい陽の下に暮らしましょう。暗い地下室はいけません。大声で歌でも歌いましょう。大晦日恒例の第九を、大ホールで合唱するように。
 〜はれたる青空ただよう雲よ〜心は朗らか狂気に満ちて〜見かわすわれらの狂気の歌。
 Nさま、私は少し悪ふざけがすぎたようです。浮かれすぎて、なんだか別の世界にトリップしそうになりました。
 それからしばらくして、薫は施設に来なくなりました。薫の、あなたは精神的に強い人だからという言葉がどこかに引っかかっていました。精神の強さなんて、秤で計るみたいに計測できるのでしょうか。私には今ひとつ理解ができないのです。
         * 
 正月の三日が過ぎて、私は久しぶりに「あすなろ」に行ってみました。その日は朝から雪が降っていました。重いガラス戸を押して中に入ると、空気が冷え冷えとしていました。廊下の灯りが煌々とついて、明るすぎるぐらいなのに、陰とした空気が漂っていました。ホールに行くと、いつもは皆が作業をしたり、おやつを食べたりしているのに、人気がありませんでした。ホールの端でガラス窓に頭を押し付けるように外を見ているケンちゃんがいました。こんにちは、ケンちゃん、久しぶり、と声をかけても、ケンちゃんは目を伏せたまま黙っていました。ガラス戸がガタガタと鳴り、白い雪の残骸がガラスに打ちつけられ、無残につぶれていました。
 私は窓のそばに行き、黒い巨獣のような日本海と灰色の空を見ました。空には墨がこぼれたように所どころ黒い雲がありました。ケンちゃんの車椅子がそばに寄ってくる気配を感じて、後ろを振り向きました。ケンちゃんの左目蓋が腫れていました。白目の部分は赤く充血していました。
「ボク、薫ちゃん好きだったのよね」唐突に、ケンちゃんが言いました。
 ケンちゃんはみんな好きでしょ。
「好きだけれど、アノー、好きという意味が違うんです」
 私は、そう、と相づちをうちました。私は以前ケンちゃんが話してくれた好きなタイプの女の子というのを思い出しました。ケンちゃんが好きなタイプは、色白ぽっちゃり型で女の子らしい人でした。薫はちょっと太り気味だけれど、それにぴったりの女(ひと)でした。
 どうしているのだろうか? 家にこもりがちでどこにも行こうとしないということを杏子が言っていたのを思い出し、薫さん、出てくればいいのにと独り言を言っていました。
 ハルコさん知らないんですか? 死んだんです、とケンちゃんが言いました。
 えっ、誰が? 薫さん? と言葉を飲み込んだまま、私はしばらく何も言うことができませんでした。
 いつ? どうして? と聞いてもケンちゃんは答えてくれませんでした。私は、事務所に行って、そこに居合わせた職員に薫のことを聞きました。
 彼は、本人の家族の意向で公にしないでくれということだから、と念を押して、昨年の暮れに薫が亡くなり、母親は今病院に入院している、と言いました。お線香をあげに行きたいと言うと、家には誰もいないと言われました。
 私は、もやもやとふっきれないものを抱えてホールに戻りました。そしてしばらく、ケンちゃんと窓ガラスの向こうの暗い空と盛り上がったような水平線を見ていました。
         *
 私はふと、何も変っていないのではないかと思いました。一年ぐらいの間の出来事が走馬灯のように浮かびました。それはすべて私の記憶の中で脚色されたフィルムでした。薫は私が作り上げたヒロインでした。本当の薫がどんな女(ひと)だったのか、私は知らないのです。もしかしたら、私はすべて騙されているのではないかと思いました。薫がここに居ないだけで、薫が死んだことにはならないのです。私は薫が死んだところを見ていないし、薫じゃないから、死んだということもわからないのです。
 Nさま、誰が作ったストーリーなのでしょう。私なのでしょうか。最後に死ぬのは私なのです。それで物語(世界)は終わりなのです。もしかして、それでも物語(世界)が続いているとあなたは言うのですか。もしそうだとしても、私には知ったことじゃありません。
「ハルコさん、アノー、死ぬってどうなるのかなあ、死ぬって恐くないのかなあ」
 ケンちゃんの言葉を聞きながら、私は、嘘だ嘘だ、みんな嘘だ、自分がここに居ることが嘘だ、と呟いていました。
「ハルコさん、薫ちゃん、ジローさん好きだったのよねえー」
 Nさま、また物語がはじまってしまいました。狂ったプログラムのまま、ウィンドウが開いていきます。終わりにするには、振り出しに戻さなければなりません。一ドットの狂いもなく巻き戻すことは不可能です。Nさま、私はシナリオどおり語り手を続けます。
 二朗と薫は、両方の親とも熱心なクリスチャンで、遠い親戚関係だと杏子から聞いたことがありました。二朗が基督教大学に入り、宣教師になり戻って来たら結婚するのだと、私が質問したわけでもないのに杏子が説明してくれました。だから二朗さんのことは……と、杏子は言葉を切り、意味あり気に笑いました。
 私は、粘液質なものにからまれたようで不快になりました。私はそれまで爽やかな青年として二朗に好意は持っていましたが、単にそれだけだったのです。意味不明の杏子の言動に触れてから、私は二朗のことを意識しなければ、ストーリー展開上面白くならないのだと思いました。それから、二朗と薫がすれ違ったり、顔をあわせる瞬間を注意して見るようになりました。それとともに、杏子が二朗と話している時の普段よりトーンの高い様子など、混みあった相関図が写し出され、聖書研究会というのは名ばかりで、男女交流会とでも名前を変えた方がいいのではと思いました。
         *
 Nさま、物語は佳境に入りました。古い写真のようにセピア色のウインドウが開きます。小屋の中には藁が積まれていました。板戸の隙間から光が差し込んでいました。どういう場面展開になっているのかもわからないまま、土間の上に仰向けにされて、押さえこまれていました。男の躰が重くのしかかってきました。煙草の匂いと整髪料の匂いがしました。少女は声もたてず、男の歪んだ顔と赤い唇を見ていました。犬の吼える声が聞こえました。男はあわてて躰を起こし、笑い泣きの表情で、誰にも言っちゃいけない、と言い出て行きました。少女は起き上がり、小屋を出ようとして、もう一人の少女の視線を感じました。少女はその視線を背後に感じながら、川に沿った道を走りました。明るい光が照りつけていました。畑の道沿いに赤いツツジが咲いていました。湿度の高い空気がゆれると、小さな虫が目や唇にぶつかってきました。指で張りついた虫をとると、緑色の腹に透明な羽をつけていました。蒸せるような青臭い匂いがしました。
 Nさま、傷のついた古いフィルムが無音で回っています。それは、おそろしく古い映像でした。それなのにです、少女の意識を、この手で触れられるぐらい鮮明に感じるのです。映像のない感覚といえばいいのでしょうか? 突然に、ある感覚が蘇ってくることがあります。遠い昔に食べた一番嫌いなものの味が、血をなめたように広がるのです。
 汚れちまった悲しみ……と詩の言葉でも紡げばいいのでしょうか。消去します。私は生臭いのは嫌いなのです。
         *
 ある日、二朗が薄暗い礼拝堂に坐っていました。彼は人の気配に気づいて、振り向きました。今までの二朗とは別人のようでした。立ち去ろうとする私に、二朗は、「あすなろ、行ってるのか」と声をかけてきました。
 私は軽く頷きました。
「そうか、君は偉いんだね」
 どうして偉いんですか。私は感謝されるために行くのではありません。行きたいから行くだけです。と、二朗に噛みついていました。
 ひとつ聞きたいことがあるんです。私は二朗に言いました。二朗は、なに? というように無表情な顔を向けました。薫には聞くことができませんでしたが、真理子にも杏子にも質問してきたことでした。
 二朗さん、神様がいると信じているんですか。死んだら天国へ行くって信じているんですか。
 信じているよ、二朗は言いました。
 馬鹿みたい、私はなぜか笑いたくなるのををこらえながら、うつむいて、声を殺して言いました。
 どうして本気でそんなことが言えるのだろう。二朗の腹を裂いて、本当のあなたを見てみたい。あなたの内臓はプラスチック、それとも合成樹脂でできている?
 二朗が、なぜかいつもと違って生々しく見えました。それは彼の口のまわりに生えたまだらな髭を見たからかもしれません。
 二朗さん、薫さんと性的関係あったんですか。
 二朗の顔がカメレオンのように青ざめていきました。切れ長の目に光がこもり、赤い唇が強ばっているのがわかりました。私は躰の中がざわつきました。そして、カエルがとびつくように不様に二朗の躰に武者ぶりついていました。
 薫さん、どうして死んだかわかります。
 二朗が硬直しているのがわかりました。
 私と二朗さんが抱き合っているのを見た、と杏子さんが話したから……。
 顔を上げると、二朗の赤い唇が見えました。私は男の赤い唇を嫌悪しました。そしてその唇に噛みつくように歯をたてました。ツツジの青臭い味がしました。
 数式を解くように明快な答えがあるとは思いませんでした。それはすべて人が取り決めた仮定のうえになりたつ仮定の答えでした。宗教も同じようなものだという気がしていました。わかっているのに、私は問い続けました。
 本当は私、神様なんかどうでも良かったのです。私でない誰かの痛みなど、どうでも良かったのです。私が一番知りたかったのは自分のことでした。
 二朗の息がかすかに匂いました。二朗がよろけるのと同時に、私は自分の不様な格好を思いました。おかしな沈黙が続き、窓の外の木の葉が揺れているのを見ていました。
 君の幸せのために祈るよ、と二朗が手を組みました。うそっぱち、と私は、二朗の手をつかみました。
 僕は君に何を言うこともできないよ。二朗はそう言うと、ポケットからティッシュを出し鼻をかみました。そしてそれを捨てる場所をさがすように見回して、もう一度ポケットのなかにしまい込みました。私はなんだかおかしくなりました。神も紙も同じに思えたのです。カミは鼻をかまれてポケットの中にしまわれたのです。カミはどんなことでもお許しくださいます。
         *
 Nさま、あれから何年たったことでしょう。細胞は日に日に入れ代わり、私は日に日に老いていくというのに、私というものは、私という全体のどの部分にあるのかわからないけれど、何も変わってないような気がするのです。母の生家がとり壊されるというので、田舎に帰省したおりに立ち寄りました。座敷の濡れ縁のそばにあったリンゴの木は切り倒されていました。私は梯子を借りて廂の上に乗りました。
 屋根の上からの眺めは、昔とは多少違いましたが、川原に下りていく道や、川向こうの小高い山などの景色は変わっていませんでした。あの野道の曲がりにある、掘っ建て小屋も変わらずにありました。ちょうどその辺りにおかっぱ頭の女の子の影が見えました。
 空は晴れ晴れと広がっていました。私は空を見上げながら、躰中から絞り出される体液が、青い樹液となって落ちていくのを感じました。
 Nさま、聞いてください。私は恐ろしく罪深いことを告白します。カミを感じるということが最近わかったような気がするのです。見えないカミ、感じるだけのカミ、いつも私を見ているカミ、自分の事を自分以上に知っているカミ、私にもこの謎解きが分かったのです。カミは自分なのです。人はそれぞれカミを持っているのです。いえ、人の事などどうでもいいのです。私は私の宇宙を持ち、カミも持っているのです。
 私が生まれてから現在(いま)まで、ずーっと、見られているという意識と、見ているという意識がありました。その二つの意識は遺伝子の鎖のようにからみあって、繋がっているのです。
 リンゴの木の上から眺めている私が、ずうっと、今でも私のことを見ているのです。
 Nさま、私は独白劇を演じながら後頭部、もっと正確に言うと、頭部と首の境目あたりに、ぼんやりした気配を感じています。同時に爆弾の絵がついたエラーメッセージが出ています。ここでパワーキーをオフにすることはできません。スベテヲ キョウセイテキニ シュウリョウスル 私はコマンドでNさまに別れを告げることにします。