「あいやー」 大字哀野(室井光広著)を読んで  
    

 私の郷里(秋田)では、あまりの驚きで言葉を失った時「アヤー」という表現をする。

 例えば元気だった人が突然亡くなったというような話しの中で「アヤー、アギレダ ナー」と言う。
 (なんとも仕方がないことだ、絶句)というような意味合なのだけれど、簡単な音の響きの中には、もりこめない程の複雑な思いが入っている。
 だから通りすがりに「アヤー」という響きを耳にすると、一瞬体が引き戻され、内奥の神経が震える。
 タイトルに示される『哀野』は地名であり、本当はアイノと発音するのであるが、そのド田舎の無医村にやって来た外人医師(妹の前夫でもある)の口癖であり仇名でもある。
 物語は『大字哀野』での作者とアイヤ氏との交流の中で展開されるのだが、まず不器用さが良い。
 いや不器用というのとは一寸違うのかもしれない。面白味のない文章の羅列を視線で追うごとに「ナンダコレ、ナンダコレ」とぼやきながら、やたら呪いたくなるほどの暑い夏にあっては逆にはまりこませるものがある。
 作者はこだわり派で、四文字熟語・タブー語…と縄を縒るように独自の世界を作っていく。
 けれどこの反復奇譚の世界は、もう歩きはじめているのにその一歩の足の向きだけでなく、足一般の疑問について詮索しているようなものだから、中々先に進まない。
 そしてそろそろ疲れてきたなと本を置こうとする矢先、ドツボにはまりこんでしまった。
 久しぶりに泣けるドツボだった。
 《おまイの。しせ(出世)にわ。みなたまけました。わたしもよろこんでをりまする。
 …はやくきてくたされ。はやくきてくたされ。いしょ(一生)のたのみて。ありまする。
 にし(西)さむいてわ。おか(拝)み。ひかし(東)さむいてはおかみ。しております。
 きた(北)さむいてわおかみおります。みなみ(南)さむいてはおかんでおりまする》
 文字を知らない野口シカが息子に会いたい一心で懸命に書いたカナレターである。
 作者はシカの書いたマルに、カナシミを見る。
 続いて櫓人の『阿Q正伝』の阿Qが、初めて筆を持ち懸命に書いた歪なマルが出てくる。
 阿Qは死刑宣告の調書に渾身の力をこめてマルを書く。
 そこまでくると、私はカナシミの度を測りかねて、涙が溢れる。
 作者は母の農事暦に書かれた「〜してよかった」「〜してがっかりした」という単調な記録文、またアイヤ氏のちぐはぐで一言一言に丸いこぶが付く日本語と共に不器用に歩みだす。
 そして《いしょのたのみて、ありまする。にしさむいては。おかみ。ひかしさむいてわおかみ。しております。きたさむいてわおかみおります。みなみさむいてはおかんでおりまする。おせてくたされ。楽に死ねるクスリをまちてをりまする》と言って土蔵の二階で首吊り自殺をした祖母の話に繋がっていく。
 祖母は雨がふりたがっている、ような自然さでこの世からおりた。
 どうしようもない光景を音声言語で表現する時、人は「アイヤ」と言い、文字で表現する時は「マル」になるのかもしれない。
 というように、作者の円環の波はしつこく拘り、絡み、深いところにズルリズルリ落ちていく。
 私は、再度涙をこらえる。
 人が老いて死んでいくという生理は避けることができない。
 それを黙って見ているしかないという、どうしようもないカナシミに私は一瞬居所がわからなくなる。
 気が付くと、湿り気を含んだ秋風が蝉の亡骸を転がしている。
 生けるものの哀しさを、二重螺旋のどこかで感知して「アイヤ!」と叫んでみたくなる。
 そんな熟成された一遍である。

 おどるでく 室井光広著  講談社

 

 父の死

 予感のようなものがあった。その夜、体の底からこみあげる生霊(エネルギー)に衝き動かされ、声を殺して泣いた。とめどなく涙が溢れた。
 翌朝、父の訃報を聞いて郷里の秋田に向った。家に着いたのは午後九時に近かった。父はすでに納棺されていて、この地方の風習(ならい)で通夜の前には荼毘に伏されるのだという。棺の蓋を開け父の顔を見る。
「しわもしみもなくて、ほんと、きれえーな顔してるごと」
 母がそばで言う。
「まんず、つめてもんだなー。さわてみれ」
 私は両手で父の頬を挟むように触わる。冷たくてツルツルしてゴムマスクのような感じがした。
生きているものと死んでいるものの違いはなんなのだろう。父のかたちはしていても魂のない父は父ではない。
 父は一人の人ではなく、一体の死体になった。
「いでども、くるしども、かいども、ひどごども言わねでよ、逝ったがらえがったなよ」
 弔問客に向って、母は同じ台詞を繰り返した。
どうして痒いという言葉がはいってくるの。一言も言わないのではなくて言えなかったんでしょ(父は重度の失語症だった)と私は自分の毒を弄んでいた。
 脳血栓の後遺症に苦しめられていた父が癌にも侵されていたと知ったのは半年ほど前だった。それからは固形物を食べることもできず流動食や点滴、輸血で命をつないでいた。
 亡くなる二日ほど前に見舞った叔父が、
「あや、茶色いすすけ水吐でよ」
 すすけ水って何? と聞くと、
「あや、ガンで死ぬ奴はみなそんたもんだ。くされ水が体のながさたまってるなや」
 ふと、死んだ魚の腐った臓物を連想した。父は最後にその腐れ水をカポッと吐き、息をひきとったという。それから父は、腐れ水が出ないように身体中の穴という穴に綿を詰め込まれた。腐った体を所有した父は欝陶しかったろうなと私は思った。
 火葬場でお骨になるまでの二時間あまり、焼かれる体が熱かろう、と何度もお水を上げに行く小母さんがいた。父とどういう関わりのある女なのかは知らないが、背を屈めた陰気くさい感じのその女が、
「今、目えのあたりが燃えてました」
と、父が焼かれていく一部始終を伝える。時々は焼かれる体が火の勢いに煽られて起き上がるように見えるという。
 まだ熱(ほと)ったうす桃色の頭蓋骨は蟹の甲羅のようだった。父はさっぱりと焼かれて気持ちが良いだろうと思った。それに比べ、重い臓腑を抱えあぐね言葉を書き綴る自分の卑しさが嫌でたまらない。
 初七日が過ぎ、私は母と二人残された。
「おがしなよ……」昨夜も父の夢を見たという母は話し始める。
 朝の二時ごろだ、父さんが呼ぶから起ぎた。ぐあいわりそうにからだよじってすわっでだ。まだ飲みすぎだなが、と言うど「なんとも仕方ね、救急車呼べ」と言うなだ。あわてで、救急車、救急車、何番だと言ったら、百十九番だと言う。あやっ! 百十九番だど……頭の中真っ白になった。なんとして百十九回もダイヤル回せばえなよ。父さん、なんとせばええー!!
「あわてるな。いち・いち・きゅう・て順番にダイヤル回せ」と父さん、落ち着いて言った。それから救急車に乗って病院さ行ったども、だいぶ待だされた。看護婦さんが書けと言って持ってきたのに父さんちゃんと自分の名前も書いでた。やっと診察室に入って、入院だって言われで、急いで家さ帰って入院道具そろえでもどて来たらもう意識ながった。
 翌日も、また翌日も父の情けない顔を夢で見るという母は、祈祷師の所さ行って拝んでもらわねば、と言う。
 夢は父が見せているわけではなく、アナタの潜在意識が見るんでしょ。魂なんていうものも生きてる人が作りあげたものじゃない。私が毒を噴出すると母は、小さな顔の中の目を心細げにすぼめて、
「魂がないってがー。だば神様はいるなだが!」
 神様なんかいるわけないよ。神様も仏様もみんな人間が作ったんだ。人は必ず死ぬんだから、死ぬっていうことは特別なことでもなんでもない。順番なんだ。父の順番がアナタより早かっただけ。遅かれ早かれアナタも逝くんだから。死んだ人のために生きるんじゃなくて、自分のために生きたほうがいいよ。
と、一気に言葉を吐き出し、胸が切り裂かれる思いを堪え、宙空を睨みつけた。
一九九八年二月三日、午前六時四十八分、父の信号がとぎれた刻、そのコンマ〇・〇〇一秒前に、私は父の呻きをはっきりと感じた。

一九九八年四月(二十一世紀文学 八号発表)





〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜