海月浄土

 水の中のやうだつた。体を動かそうとすると重たゐ感じがした。ゆらゆら黄色ゐ波が揺れ、その向ふに目をやると、ただ青ゐやうな世界が見えた。
 わたしは体を起こし立ち上がらうとした。水が体を押さえつけた。両手両足でもがき、飛沫が上がつた。漠然と恐怖がわきあがつた。わたしは水の罠にとらえられた魚だらうか。そんなはずはなゐ。魚なら水の中を自由にくねることができる。恐怖が重みを増し、わたしはゐく筋もの泡を出し、鉛のやうに沈みはじめた。
 息ができなゐ。わたしは、はつと気がつゐた。口から鼻から、むりやり入り込む水は、ようしやなく体の奥まで侵入する。どれくらゐの時がすぎたのだらう、濡れた綿のやうなわたしの形骸は、ふうわりふうわりとはがれてゐく。そのたびにわたしは、ひどく愉快な気分になるけれど、一方で、わたしとゐう思ゐの残像の重さで、深く深く沈んでゐく。
 だれやらの新盆の後、海に行つたわたしは、海藻のやうに漂う海月を見た。
 媚びるやうに寄つてくる水の蠢きのなかに同化し、びりりびりり放電する自虐の極致。
 海月を魚とりの網で掬つては砂浜にすてた。
 海月は緑色の腸を陽の光にすかし、時の薄皮のやうに重ねられてゐつた。
 波うちぎわの流木を持つて、海月の心の臓あたりにうちこむと、透明なしお水が滴り落ちた。
 陽が中天を過ぎ、波のざわめきが遠くなり、海が一間ほど向ふに行つてしまつたやうな一刻。乾ゐた海月は、かさかさと砂粒まじりの風を浴び、あゝやつと感情の湿地帯からのがれられたと。なまぼし海月は、ほんとふは鳥になりたかつたけれど、あゝやっぱり、あの腹のふくらみがねえ。なまつぽくてゐやだね。とか云つて、海月浄土に行進する。





 

「ひとごろも」

 山みち散歩していたら
 一軒の古家を見つけて
 声をかけたが誰もいず
 漆喰壁に苔むす庭さき
 若葉むせかえる青桐の
 野太い枝へと渡された
 竹竿にぶらさがるもの
 頭つきの着ぐるみかと
 思う程重たげに下がり
 見ると人の形そのまま
 皮鞣して風を通す有様
 見事な人皮にただ感心
 ああ何て気分の良い日
 私も重い皮衣脱ぎ捨て
 こんな竿にかけられて
 もう四十何年も着通し
 汗じみ油じみの肉襦袢
*ああ うっとおしいと
 肉襦袢ぽんと放り投げ
 骨身に沁みる光と風を
 赤剥け兎のよに愉しみ
 人間だったことなんか
 忘れましょうさっさと
 皮衣脱ぎ湿った影達と
 ひみつの浮世で静寂に
 止まった刻を刻みつつ
 隠人で暮らしましょう





 

 白い時間

 裏返しの
 空の端布 はためいて
 真白い空は めくれてる

 空なんて ないもおなじと 見ないふり

 眠りの時間は 空に食われ

 死んだ時間 いない時間 を食いつくし

 真白い時間は 空にとけ
 真白い世界を 広げてく





 

 

 あと五分

 あと五分待って
 あと五分だけ
 あと五分だけ 眠りたい

 あと五分待って
 あと五分だけ
 目覚めた自分 起こしたい

 あと五分待って
 あと五分だけ
 終わりの気持ち 整理する

 あと五分
 これが最後の五分
 生まれた理由 考えてみる





 

 考える脳

 脳のことを考える
 脳のコトを脳が考える
 食っている 手の感じと
 食われている 手の感じ
 走らされている足と
 走っている足と





 三日月ジェリー(jelly)

 眠りのなかでは 地軸からゆれる 振り子のように
 頭蓋のなかの にこごりが 重力のままにゆれ
 三日月ジェリーを見る

 見えない闇の いることのない場所

 気分というのは
 すこし黄色い とろりとした体液が 有る方向をさして流れ落ちる
 あの 感覚ではないかと

 三日月ジェリーが 頭蓋のなかで
 わたしは なにもなく なにもなく……
   と ゆれ ゆれている





 

 アタラシイ日

 鳥は 日向の草の匂い
 魚は 澱んだ水の匂い

 すり硝子の
 変形した
 鱗の破片で
 みるケシキ

 ナツカシキ
 トオメガネノセカイ

 三之助もろこし 
 わたしの いたところ

 またくるアタラシイ日に
 わたし という世界を 書こう
 黒い服を着て 傘を持った 影が 
 あそこの辻に立っているから